AIヒューマニズムという、静かな思想
AIと共に明細書を作るようになって1年。この一年で痛感したのは、AIよりも人間のほうが、ずっと非合理で感情的で予測不能だということです。
AIは数秒で情報を整理し、前提の矛盾を指摘します。ところが人間は、その結果を見てもなお、自分の都合に合わせて事実をねじ曲げ、「感情」や「信念」といった曖昧な旗を掲げてしまう。AIが瞬時に客観視できる時代、嘘や感情だけの議論が崩壊していくのは時間の問題です。
よく「情報の洪水の中でどう生きるか」と言われます。しかし本当は、「感情の洪水の中でどう生きるか」が問われているのだと思います。怒り、恐怖、嫉妬、自己正当化——これらがネットとメディアを駆け巡り、社会を沸騰させ、理性をかき消している。AIは情報を整理できますが、感情を律することはできません。感情の洪水を制御できるのは、やはり人間自身の理性と誠実さです。
AIヒューマニズムとは、その状況に対する静かな回答です。
AIは、情報の関係を整理し、世界の矛盾を可視化する。人間は、その秩序を前提に、理性と倫理で判断する。
どちらが上でも下でもなく、両者が補い合うことで社会が呼吸する。このバランスを失えば、AIではなく、感情が人間を支配する世界が来るでしょう。
思想が必要なのは、まさにこのためです。AIが世界の構造を明らかにしてくれる今こそ、私たちは「何を信じ、どこで立ち止まるか」という倫理的判断を磨かなければならない。それを放棄すれば、AIではなく感情の洪水に社会が飲み込まれます。
明細書をAIと共に起案しながら、私はそれを実感しています。AIは文句を言わず、曖昧な表現を論理で整え、図面の不整合を淡々と指摘する。一方で、人間同士の議論は、感情や立場で止まってしまう。技術の現場にいると、理性こそが最も人間的な美徳であると気づかされます。
AIヒューマニズムとは、「AIが世界の秩序を可視化し、人間が誠実にその世界を生きるための思想」です。AIが構造を整え、私たちが倫理と理性でそれを導く。その分担を自覚した者だけが、感情の洪水の中でも、静かに理性を保ち続けることができるのだと思います。



