弁理士高山の生い立ちからベンチャービジネス立ち上げまで

特許事務所経営 
私が経営する特許事務所は、弁理士1名に、補助者が若干名という、いわゆる個人事務所です。
お客様は、小規模企業から中堅企業までの、いわゆる中小・ベンチャー企業の方々ばかりです。
1件1件を丁寧に、真剣に取り組む。個人事務所であるからこそ可能なサービスを追求し続けています。
最近は、着実に、成長を続けていまして、忙しい日も多く、訴訟案件を、この2~3年の間に、10件程度立て続けに対応させていただいたこともあり、業務範囲は、ますます広がっています。

中学生向け学習動画ベンチャービジネス立ち上げ
私は、普段は、特許面では、いろいろ偉そうなことを言っているわけですが、実際面で知的財産が企業内でどのように活用されているか分かっていないところも正直あるわけです。また、特許以外の仕事にも挑戦したいと思い、株式会社Prisolaインターナショナルを立ち上げました。現在、株式会社Prisolaインターナショナルでは、中学生向けの学習動画サイト「イークルース」を運営しており、動画学習という新しい価値を提供しています。

イークルースは、2013年9月にオープンしました。当時は、まだ、ネットの動画で勉強するというのは、珍しい方で、動画学習の黎明期に、ベンチャービジネスを立ち上げたと言えます。

イークルースは、今では、約3千名のユーザ様にご利用いただくサイトにまで成長しました。
この記事を書いています2017年では、すでに、動画学習のサイトもたくさん出現していますが、イークルースの当初からのコンセプトは、他社に劣らないと考えています。
今までは、イークルースで、「0」を「1」にする経験をさせていただくことができましたが、今後は、「1」を「10」にするにはどうすれば良いのかを考えていきたいと思います。

この動画サイトでの仕組みにも、特許面で見た場合、「新規性」がある部分があるので、特許出願を行っております。その特許出願を行う際の目線は、弁理士としての目線ではなく、経営者として、この事業で知的財産をどのように活かそうかという目線でした。この特許出願は、どちらかというと、防衛出願的な位置づけにありますが、特許出願を事業展開の前に済ませておいたために、安心感が生まれ、思い切って、サイト作成に投資することができました。
最後は、実用新案に変更して、登録を維持しております。

もちろん、商標は、早めに出願しておいて、サイトのオープン時には、権利取得を首尾良く終わらせておきました。

独立開業

2005年には、ついに、独立開業し、たかやま特許商標事務所を開設しました。

私は、勤務していた特許事務所からお客様を引き継ぐことはなく、ゼロの状態からの独立でした。幸いにも、2社ほどの中小企業の方が、自主的に、私の方に、ご依頼を変更していただき、顧問契約もしていただけたのは、とても幸運でした。

独立開業後は、どのようにしてお客様を増やしていくか、そこから全てが始まりました。

開業当初、前に勤務していた会社の重役に、幸運にも、お客様をご紹介いただきました。そのお客様も、顧問契約していただき、今でも、いろいろ重要な案件を担当させていただいております。

いわゆる営業活動的なことは、ほとんどせず、開業当初から、当時では珍しかったのですが、ホームページで事務所を宣伝しました。運良く、ホームページからの集客にも成功し、お客様に恵まれました。

その間、お客様の特許や意匠、商標の登録を取得するのを最大目標に取り組み、他の特許事務所では、無理だといわれた案件でも、特許を取得できたり、1ヶ月で特許を取得できたり、大手企業の商標を取り消して商標を取得したり、知財高裁まで戦って意匠を取得したりと、権利を勝ち取る取り組みを積み上げてきました。

「弁理士は、特許・意匠・商標・実用新案の登録を勝ち取ることに意義がある」という当たり前のことを徹底できる弁理士にまで、成長させていただくことができました。

その後、2007年には、弁理士を1名増加して、大手上場企業の出願を受任し、外国への特許出願も多数ご依頼いただきました。しかし、売り上げは、急上昇するものの、人事・労務管理がうまくいかず、また、外国弁護士への立替金の資金繰りにも苦しみ、所属弁理士の退職なども重なって、2011年12月に、もう一度、原点に立ち返るために、充電期間を設けるため、事務所を自宅近辺に移転しました。

その後も、たくさんの依頼を受任させていただきました。特許・意匠・商標・実用新案を登録に導くためのコツというか、パワーというか、考え方というか、そう力が十分に備わった弁理士にまで成長することができました。

また、弊所には、いろいろ複雑な事務手続きのご依頼が多く舞い込むのですが、そのような事務的に複雑な手続きも、ほとんど経験させていただきました。

2013年11月には、経営の多角化に伴い、自宅近辺の事務所から、新大阪近辺の現在の事務所に移転しました。

特許業界へ転身

しかし、やはり、発明が好きなので、発明に関われる仕事がしたいと思い、弁理士を目指し、2000年9月、このような全くの異業種から特許業界へ転身しました。将来は、中小企業の発明の特許を取るお手伝いができるような弁理士になりたいと考えていました。

そのときから、ずっと、大阪に住んでいます。吹田市の江坂にある小笠原特許事務所で、特許実務のイロハを徹底的に教えていただきました。当時は、松下電器産業株式会社の特許出願を年に50~60件程度担当させていただき、国内外の案件をたくさんの経験をさせていただきました。

その後、弁理士試験に合格し、小笠原特許事務所では、後輩を指導するチーフ職にまでになりました。

会社勤務

その後、会社勤めしまして、新商品の営業企画や飲食店の店長を経験させて頂きました。
新商品の営業企画では、当時は珍しかった音声録音ICチップを活用した商品開発の企画を経験させていただきました。
NTTさんや東急ハンズさん、ロフトさんなどで採用していただく商品を開発することができました。

また、飲食店店長時代は、スパゲッティー専門店で、接客や調理を経験させていただきました。

学生時代

その後、数学の方に興味が向いてしまったので、大学では、数学を勉強しました。学生時代は、自分で言うのもなんですが、よく勉強していました。総代で卒業できたのもあって、大学院に進学しましたが、興味がだんだん薄れていって、ドロップアウトしました。

学生時代のアルバイトは、建築現場での片付け工から家庭教師、レストランでの皿洗い・ウエイターと、肉体労働からサービス業まで、いろいろ楽しく経験させていただきました。

少年時代

私は、子どもの頃より、発明に興味があり、将来は、発明家になって、ヒット商品をあてて、金持ちになるのを夢見ていました。今思えば、くだらない発明品ばかりですが、子どもながらに、いろいろ発明品を考えては、工作してという日を過ごしていました。ちょうど、小6~中学生くらいの間だったと思います。

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